団子状の仔犬団

回文ぽくしたかった…

動物園ではキリンを見よう

あなたがもし、クリエイティブな人間になりたいのであれば、動物園にいってキリンを見よう。
理由は2つある。


まずはキリンをイメージしてほしい。
大抵の日本人であれば図鑑やテレビでキリンを見たことがあるし、頭の先から蹄までイメージできる人がほとんどだろう。

しかし実物のキリンは、ひたすら縦に長い。
自分の頭とキリンの膝がおおよそ同じ高さに来る。
思いきり上を仰がなければ、キリンの顔を見ることはできない。
イメージでは、簡単に全体像を思い浮かべられるキリンだが、実際には距離をとらないと全体像を見ることはできないのである。

何においても実物とイメージには差がある、百聞は一見に如かずという言葉を体験するために、キリンは有用な教材になるだろう。


二つ目に、キリンとは意思の疎通ができない。
現代社会に生きる人間は、相手に言葉が通じるのは当然のことであり、自分の意思は積極的に伝えるべきであるという風潮の中にある。

しかし、それはあくまでも人間社会の中の話であり、キリンを見ることで、常に言葉が通用するわけではないという考えを持つことができる。
この考えは、発想の幅を広げることになるだろう。

これが他の動物、例えばゾウであれば、なんとなく意志疎通ができそうな気がする。
散歩してたり、鼻で木を掴んで遊んでたり、飼育員に水をかけられて喜んでいるところをみると、言葉が通じないにしろ一生懸命お願いすれば、「うんうん、わかったゾウ」と言ってくれそうな気がする。

あるいは、サイなんかも意思疎通できそうな気がする。
サイは静かだ。
ただじっとそこにいる。
それは、硬く鎧のような皮膚と、鋭い角に自信があるためである。
強いものは、些事に悩まされない。

そういったように、心に余裕がある高貴なサイであれば、言葉が通じないにしろ懇切丁寧にお願いすれば、「よしよし、まかせなサイ」と言ってくれそうではないか。

これがキリンだったら、いくら話したところで声が届いてなさそうだし、何にも聞いてくれなさそうだ。
同じ動物でも意思疎通ができないという実感を得られるだろう。


何? キリンのだじゃれが思いつかなかっただけじゃないかって?
キリンとは話が通じないという話をしているのだから、だじゃれが無いのも当然だ、という結論で終わりにしよう。